キミの幸せを祈るうた

Supermanじゃなくても君を守りたい

頭から足の爪先まで愛の詰まった、愛の結晶のようなひと

なにわぶ誌を読んで、ああやっぱりこの人は愛を謳うひとだなあと思いました。20歳という区切りの日を迎えて、ファンに伝えようと思った言葉が「ありがとう」という感謝の気持ちであることが、すごくのぞむくんらしいなと思った。

その人の本質や育ってきた環境を見抜くには、愛情表現の方法を見ることが一番の近道だという自分の中の持論があって、それはのぞむくんを見ていると尚更想いが強くなる。

わたしたち人間は大人になるまでさまざまな集団の中で、生きていくために必要なことを学ぶと言われているけど、生まれて初めて愛を学ぶ場所が「家族」という名の小集団だとわたしは思っています。そこで、愛し方も愛され方も何も知らないまっさらな赤ちゃんは、少しずつ家族からの愛情を受けて育っていく。にっこり笑えば家族に喜ばれ、「可愛いね」と言ってもらえることを知る。例えば、にっこり笑っても反応がなかったり、むしろ暴力を振るわれるような赤ちゃんは、結果的に笑う回数が減っていくと言われています。つまり、どうすれば自分が愛されるのか、周りが喜ぶのかを家族との関係のなかで学んでいるのだと思う。愛情表現を一番最初に、そして一番近くで学ぶのが家族だとわたしは思っている。だから、虐待を受けた子どもは自分が親になったときに虐待を繰り返してしまうケースが多いし(そうじゃないケースもたくさんあります)、愛情表現や感情表現をそういった形で受けてきた人は、家族という小集団から卒業して、また新たな集団(学校や他のコミュニティ)でちゃんとした愛情表現や感情表現を学ばない限りは、大人になったときに同じことを繰り返してしまう可能性が高い。自分のことで例えると、わたしみたいに両親に過保護に囲われること=大切にされていると愛情を感じて育った人間は、自分にとって最上級の愛情表現が過保護になるということです。

のぞむくんがわたしたちに還元してくれる愛こそが、のぞむくんが受けてきた愛の証しなんだろうなあとわたしは思っています。だからこそ、のぞむくんの頭から足の爪先まで、愛が詰まった愛の結晶だなのかもしれない。のぞむくんがわたしたちに「ありがとう」と言ってくれるのは、のぞむくんにとって大切な人たちがのぞむくん自身に「ありがとう」と伝えて続けてきてくれたことの証し。「俺は俺のままで」と言えるようになったのは、大切な人たちがのぞむくん自身に「あなたはあなたのままでいい」と伝え続けてくれたことの証し。愛情を受けて育ったことを、誰よりものぞむくん自身が証明している。でも、受けた愛情を同じように返すことの難しさもあるし、時にそれがコンプレックスを刺激することだってあるのに、何よりすごいのは、のぞむくんはひねくれずにただまっすぐ受けた愛を還元してくれること。これはもう才能だよね。人を愛し愛される才能。

わたしは、アイドルとして完全であろうとするのぞむくんから滲み出る隠しきれない人間性が好きだ。キレイなところだけじゃなくて、幼さや愚かさ、不足した部分も全部含めて。そんな人間性に触れる度に、またどんどん魅力に引き込まれて、夢中にさせられるのだなあと思う今日この頃です。