キミの幸せを祈るうた

Supermanじゃなくても君を守りたい

君を知るための旅はまだ始まったばかり

ここ数年、昔に比べてTwitterやブログで自分の気持ちを文章にすることが随分減ってしまった。仕事や日常の忙しさが大きな要因だと思うけど、それ以上に自分の感情に鈍感になってしまっている感覚は実はかなり前からあった。それはのぞむくんへの気持ちを何かに依拠して表現することがすっかりできなくなってしまったから。前回のブログにも書いたように、その時々の等身大ののぞむくんではなく、概念としての「小瀧望」や思い出の中ののぞむくんに思いを馳せていたから、何を語っても懐古話や抽象的な表現しかできなかった。それでも何度もTwitterで呟こうと書いては消してを繰り返して、でも納得できる文章が書けなくて、どんどん自分の気持ちを表現することが減っていってしまった。文章を綴ることは、自分の備忘録の意味もあったから、自分の中でしっかり担当への気持ちを振り返ることができるなら書かなくてもいいやと諦めていたけど、いざ金指くんに降りるかどうか悩み始めたとき、自分がどういうきっかけで金指くんを意識して、好きを加速させていったかがなかなか思い出せなかった。今ですら曖昧な記憶を何とか呼び起こして思い出しているところだけれど、数年後の自分も金指くんを好きになった経緯を忘れることのないように、自分のために書き残しておこうと思います。

本当の意味での美 少年との出会いは2017年10月あたりだったと思う。当時はまだ美 少年という名前ではなく、東京B少年だった。明確には記憶に残ってないけれど、確かユニット名は聞いたことがあったし、昔同ユニ担だった友達が東京B少年に降りたこともあって認知はしていた。そして誰もが口を揃えて「7WESTが好きだった人は絶対B少年を好きなはず!」と言っていたのも、わたしの胸に残っていた大きな理由だった。そして、長い付き合いのオタク友達が「サオリちゃんは絶対佐藤龍我くん!」と言うもんだから、わたしはすっかり東京B少年に興味を持ってしまった。しかし、実際画像か何かで彼らを見たときは、顔だけなら那須くんがタイプかな~?とぼんやり考えていた。でも少クラで歌って踊る姿を見ているうちに、長い手足をまだ上手に動かせず、ちょっと猫背気味に踊る姿が昔ののぞむくんと重なってしまい、「びーちゃんならやっぱりりゅがぴ!!!!」と佐藤龍我くんを推すと決めたことを覚えています。このとき、今担当を名乗っている金指一世くんがわたしの琴線に触れることは全くなく、「体が小さくて口パクが下手っぴな生まれたてのヒヨコみたいな子」みたいなわけが分からない印象。まさか数年後に降りていることなんてこれっぽっちも予想できなかった…。その後も、少クラを見るときには東京B少年をゆるっとチェックする程度。ジャニーズWESTの露出すらちゃんとチェックできない時もあったので、本当に気が向いたときに見るような感じでした。YouTubeでジャニーズJr.チャンネルが始まってから彼らの性格やキャラクターを知ったくらいし、本当に親戚のおばちゃんみたいな感覚で彼らを見ていたのだけど、録画していた少クラを遡って見ているとしっかり美 少年のところにチャプターを打っているし、興味を持って彼らを見ていたことは確かだなと思う。

ここまではしっかりと自分の中で記憶があるんだけど、金指くんを意識し始めたきっかけはすごくぼんやりとしか覚えていない。ちょうど2018年11月放送、Act-Showを披露した回だった。いつものように佐藤龍我くんを中心に見ていたところ、金指くんに目がとまる。「あれ?金指くんのダンス好きかも…?」「待って、めっちゃイケ化してる!?」というところから始まって、金指くん中心にAct-Showを見始めて止まらなくなったことが全ての始まり。ずっと仲良くしてる龍我担の友達に「金指くんが成長してきてどんどん顔がタイプになってきて焦ってる」と吐露したあたりから、B少年を見るときは龍我くんを追っていたはずなのに金指くんから目が離せない病にかかり、自分でも「うわ~~~~(困惑)」と思ってた。でもTwitterではほとんど金指くんについて話題にしたことがなく、何であのときもっと頑張って気持ちを言葉にしなかったんだ!!って自分を殴ってやりたい。でも振り返ると少クラのはいびーのコーナーでほうきチャレンジ(ほうきを手の平で支えて何秒保てるか)を見て、「一世くんかわいい」って呟いてて、「ハァ!?!?一世くん!?」って一世くん呼びしている自分にめちゃくちゃ驚いた。ちなみに、一度も一世くんなんて口に出して呼んだことはない。照れて恥ずかしくて呼べない…。昔の自分は怖いもの知らずだなって思った(笑)ちなみに、意識するきっかけはAct-Showだったけど、実は2018年9月からSing along songを歌う金指くんを見て「金指くんが美少年になってる…!」と呟いていたり、美Tubeの金指くんクイズを見て「お顔がめちゃめちゃ可愛い~!」って騒いでたり、以前から名前を挙げていたことがTwitterにも残ってるから、やっぱり好みの顔だったのは間違いない。

そんな感じで、わたしが金指くんを意識してから降りるきっかけになったサマステまでは、ほんのちょっと空白がある。実は、毎回美 少年が現場を発表する度に申し込みはしているのだけど、これまで現場に入ったことがなかった。チケットがなかなか当たらない、それに尽きる。そう、これまで2年近くゆるっと推してきたのに全く現場と縁がなかった。それが今年の夏、やっと現場に足を運ぶことができた。夏バテで体調を崩し、もうダメだ倒れる~~~ってくらいのゲロゲロ状態で入ったサマステ。龍我くんを見るつもりだった。テレビを見るとき、金指くんのことを目で追ってしまうことには気付いていた。でも、わたしの推しは龍我くんなんだ!と何処かで言い聞かせてきたところがある。迷わずペンライトを赤色にしてつけた。ステージが始まって、彼らがパフォーマンスを始まったときに、この目で追っているのは紛れもなく金指くんだった。ごまかしていた気持ちをぶちのめされた感覚で、初めは戸惑って龍我くんを見ようともしてみたけど無理だった。追ってしまうのは金指くんだった。ペンラの色を変えようかとも思った。でも勇気が出なかった。

そんな中、迷いを捨てたのは金指くんのソロのとき。金指くんは、これまで練習してきたアクロバットをソロに取り入れていた。ラストにバク宙をするんだけど、この日はバランスを少し崩して手をついてしまった。タイミング悪く、この日はちょうどアイランドTVの配信の日で、絶対に決めたいという想いが見ている側にも伝わってきた。しかし、彼は失敗してしまった。そのとき、分かりやすく悔しい顔をして表情を曇らせた。そのまま、次の曲に行っても表情は曇ったままで、悔しさを隠し切れない姿がそこにはあった。わたしは、息が止まりそうになりながら双眼鏡で金指くんを追った。わたしは金指くんを何にも知らなかった。テレビやYouTubeで見せる姿はメンバーから一歩引いたところにいる物静かな男の子で、感情があまりない子だと勝手に思ってた。顔がキレイで、感情が読めなくて、アンドロイドみたいだなって実は思ってた。これまで雑誌やテレビで、金指くんは感情的なところがあることをメンバーが話していたらしいけど、ゆるりとしか見てこなかったわたしは新規と同じで、全くもって無知だったからそういう部分があることを知らなかった。でも金指くんが感情を抑えきれずにいる姿を見て、目が離せなくなった。こんな顔して悔しがるんだ…ってびっくりしたし、負けず嫌いな一面が驚きだった。アイドルはステージ上ではどんなことがあっても笑顔でいるべきだと思うし、顔に出すのは幼さの証拠かもしれない。でもわたしは、金指くんの人間くささみたいなものにぎゅっと心を掴まれて、もうどうしようもなく夢中になってしまった。そこからはきっとほとんど金指くんしか見ていない。ペンライトの色は変えなかったけど、それは迷いじゃなくて、ペンライトの色を変える時間も惜しいくらい、どんな表情も一瞬たりとも見逃したくないと思った。実は、この感情の奪われ方はのぞむくんに降りたときに少し似てる。その話は長くなるのでまたいつか機会があったら。

そこからは転がり落ちるかのように、好きが加速していった。次の日もサマステに入った。わたしにとって最後のサマステだった。この日は迷いなくペンライトをピンクにして、思う存分金指くんを見た。もうこのときに、どこか覚悟はあったのかもしれない。推しという言葉だけでは足りない存在になるかもしれないって。そこから自分の手が届く範囲で過去の金指くんを知る旅に出た。めんどくさがりが功を称して、過去の少クラは全部残っていた。今の時代は美TubeもアイランドTVの動画もある。Twitterを探せば、金指くんの過去を何でも知ることができる。知れば知るほど好きになって、たまらず金指担に降りた。でも、今でもわたしが知っている金指一世くんはまだほんの一部だ。もっと知って、もっと好きになりたい。金指くんを知り尽くした後も、何度もこの記事を読んで、降りたときの想いを噛み締めたい。そのためにこの記事を書いた。これからも、自分の感情に蓋をしないで、多少上手く言葉にできなくても形に残していきたい。それがジャニオタとして必要な作業だと思っている。

わたしの金指くんを知る旅はまだまだ始まったばかりだ。

御守りを手放すことを決めた日

最近よく自分がのぞむくんを好きでいる理由とは何かを考えて悶々としていたのですが、ぼんやりしていたものの輪郭が少しずつに明確になってきたので、しっかり言葉に残したいなあと思って、数年ぶりにブログを書いています。つまらない内容な上に長くなりますが、どうぞお付き合い下さい。

突然ですが、わたしはのぞむくんに対して冷めたりする瞬間はほぼなく、いつもフラットに好きという感情を持っていて、雑誌やテレビなどの露出を追っても追わなくても大きな変化がありません。それは単純に、小瀧望という人がアイドルとしてただそこに存在していてくれることが、わたしにとって心の支えで、頑張る活力になるからだと思います。わたしは昔からのぞむくんに対して「アイドルとしてこんな風になって欲しい」「こんなことを成し遂げて欲しい」といった欲が全くなく、のぞむくんが望むこと、のぞむくんが選んだ道が全てだと思って、それをただただ応援したいと思っていました。それはきっと、アイドルである小瀧望を好きなのはもちろんだけど、それ以上にのぞむくんの人となりや人間性に愛しさを覚えて、8年半も好きでいたからなんだと思う。

不思議な「好き」の形だなあと自分でも思うけど、8年半も好きでいたら恋も愛に変わるだろうし、この感情に疑うこともなかった。でも、この夏に自分でも驚くほど目が離せない存在ができて、初めてわたしにとって担当とは何だろう、のぞむくんへの想いって何だろうって思った。好きの在り方に対して疑ったことはないと言っていたけれど、何処かでそれは自分自身がのぞむくんへの想いに向き合おうとしていなかったからかもしれない。わたしはずっと小瀧望そのものを好きでいたつもりで、気付いたら等身大の小瀧望ではなく、小瀧望という概念や、小瀧担として過ごしてきた楽しかった過去の思い出のために小瀧担を名乗っていたかもしれないということに気付いて。それに気付いて、とてもショックだったし悲しかった。もちろん、それだけの気持ちじゃなくてのぞむくん自身のこともちゃんと好きだったつもりけど、でもわたしの心の中で生きているのは、いつだって過去ののぞむくんだと気付いてしまった。

言葉を変えて言うなら、のぞむくんの存在はわたしにとっていつも「御守り」だった。わたしを守ってくれる大事な大事な「御守り」だった。のぞむくんを好きになって楽しかった日々、のぞむくんを好きになって出会った友達。全部わたしにとって大切な宝物だったし、何より一番はのぞむくんを好きな自分自身が好きだった。「小瀧担のサオリ」である自分が好きだった。これまでの8年半を手放すなんて、のぞむくんへの「好き」という気持ちを手放すなんて、絶対無理だ。でも、きっとこのままだとわたしはずっと今の小瀧望じゃなくて、過去の楽しかった思い出と自分のエゴのために小瀧担を続けてしまうんだと思った。

担当の定義なんて人それぞれだからどうであってもいいと思うけど、この気持ちを担当と呼ぶべきじゃないと思ったし、じゃあ自分にとって担当と呼びたい人ってどういう人だろうって考えた。過去の自分のTwitterやブログを読み返す日々が続いた。そのなかで小瀧担に降りたときのブログを読み返していて、こんなことが書かれていました。

「わたしはこのひとが笑顔でいられるなら、夢を叶えるための力になりたいし、急激に成長していくこの姿を一瞬でも見逃したくないって感じた。そのとき、わたしこの人になら降りられるかも、って初めて思った」

ああそうだ、これがわたしの担当の定義だ。過去の自分が教えてくれた。このとき、わたしの頭を過ぎったのは、この夏誰よりも目が離せなかった存在、美 少年の金指一世くんでした。美 少年は2年前からゆるりと推していたユニットで、何度も現場に足を運ぼうと思ったけどことごとくチケットが当たらず、漸く今年の夏に自分の目で見ることができました。自分でも金指くんに辿り着いたことは驚きですが、今後は金指担を名乗って、金指くんの、美 少年の夢を叶えるための力になりたい。今は今しかない、どんどん成長していくこの一瞬一瞬を見逃したくない。そう思えたのはのぞむくん以来なので、きっとそれが答えなんだと思います。もうずっと担降りに縁がなかった上に、ジャニーさんが亡くなってこれからの未来どうなるの!?って不安しかないジャニーズJr.のファンになるのは正直とても不安で覚悟が必要でした。悩んだけど、でもこのまま立ち止まってもいられないなって思った。不安以上に楽しい毎日が待っていると信じて、今日一歩踏み出そうと思います。きっとのぞむくんへの「好き」を手放すわけじゃない、のぞむくんを好きだった日々の思い出のかけらを拾い集めて、きっとまたこの人を好きになったように金指くんを応援できるように、この不安を希望に変えて前に進むよ。ありがとうの言葉だけじゃ足りないなあ。

というわけで、令和元年9月1日から、金指担始めます。これまでもTwitterで美 少年の話もしていたし、変わらずジャニーズWESTやのぞむくんのことも応援していくので、特に大きな変化はないと思います。最後まで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

頭から足の爪先まで愛の詰まった、愛の結晶のようなひと

なにわぶ誌を読んで、ああやっぱりこの人は愛を謳うひとだなあと思いました。20歳という区切りの日を迎えて、ファンに伝えようと思った言葉が「ありがとう」という感謝の気持ちであることが、すごくのぞむくんらしいなと思った。

その人の本質や育ってきた環境を見抜くには、愛情表現の方法を見ることが一番の近道だという自分の中の持論があって、それはのぞむくんを見ていると尚更想いが強くなる。

わたしたち人間は大人になるまでさまざまな集団の中で、生きていくために必要なことを学ぶと言われているけど、生まれて初めて愛を学ぶ場所が「家族」という名の小集団だとわたしは思っています。そこで、愛し方も愛され方も何も知らないまっさらな赤ちゃんは、少しずつ家族からの愛情を受けて育っていく。にっこり笑えば家族に喜ばれ、「可愛いね」と言ってもらえることを知る。例えば、にっこり笑っても反応がなかったり、むしろ暴力を振るわれるような赤ちゃんは、結果的に笑う回数が減っていくと言われています。つまり、どうすれば自分が愛されるのか、周りが喜ぶのかを家族との関係のなかで学んでいるのだと思う。愛情表現を一番最初に、そして一番近くで学ぶのが家族だとわたしは思っている。だから、虐待を受けた子どもは自分が親になったときに虐待を繰り返してしまうケースが多いし(そうじゃないケースもたくさんあります)、愛情表現や感情表現をそういった形で受けてきた人は、家族という小集団から卒業して、また新たな集団(学校や他のコミュニティ)でちゃんとした愛情表現や感情表現を学ばない限りは、大人になったときに同じことを繰り返してしまう可能性が高い。自分のことで例えると、わたしみたいに両親に過保護に囲われること=大切にされていると愛情を感じて育った人間は、自分にとって最上級の愛情表現が過保護になるということです。

のぞむくんがわたしたちに還元してくれる愛こそが、のぞむくんが受けてきた愛の証しなんだろうなあとわたしは思っています。だからこそ、のぞむくんの頭から足の爪先まで、愛が詰まった愛の結晶だなのかもしれない。のぞむくんがわたしたちに「ありがとう」と言ってくれるのは、のぞむくんにとって大切な人たちがのぞむくん自身に「ありがとう」と伝えて続けてきてくれたことの証し。「俺は俺のままで」と言えるようになったのは、大切な人たちがのぞむくん自身に「あなたはあなたのままでいい」と伝え続けてくれたことの証し。愛情を受けて育ったことを、誰よりものぞむくん自身が証明している。でも、受けた愛情を同じように返すことの難しさもあるし、時にそれがコンプレックスを刺激することだってあるのに、何よりすごいのは、のぞむくんはひねくれずにただまっすぐ受けた愛を還元してくれること。これはもう才能だよね。人を愛し愛される才能。

わたしは、アイドルとして完全であろうとするのぞむくんから滲み出る隠しきれない人間性が好きだ。キレイなところだけじゃなくて、幼さや愚かさ、不足した部分も全部含めて。そんな人間性に触れる度に、またどんどん魅力に引き込まれて、夢中にさせられるのだなあと思う今日この頃です。

「オトナ」として振る舞うことが使命だった君が20歳になる

20歳になったのぞむくんに一体何を伝えたいか、もう何日も前からずっと考えていたけど、どんな言葉も言葉に変換すればするほど陳腐になってしまって、しっくり来る言葉が浮かばない。のぞむくんを好きになって、わたしにとって6回目の誕生日。「大好き」も「ありがとう」も、もう何回目だよ聞き飽きちゃったよって笑われてもおかしくないくらい、何度も何度も呟いた。でも何度言っても足りないくらい、好きだなあって思うし、感謝してもし切れない。6回目の誕生日を迎えた今、わたしは一体どんな言葉で、この溢れる思いを伝えたらいいのだろう。

14歳ののぞむくんは、まだまだ善悪も知らない、ただ神様に選ばれた奇跡の少年だった。まだ何も知らないからこそ、強く光輝いていた。
15歳ののぞむくんは、瞬きさえ惜しいほどに成長が著しかった。目を離す隙なんて与えてくれないほどに。
16歳ののぞむくんは、「笑い」という武器を手に入れた。これまで守ってきた自分のアイドル像を壊してまで、守りたい自分に出会った。葛藤もあったようだけど、のぞむくんがのぞむくんらしくいるためにすごく大切な1年だった。
17歳ののぞむくんは、もしかしたら何処かで迷っていたのかもしれない。誰にも相談できず、期限を決めた夢を追いながら。そして、苦しみもがきながら、やっと手に入れた夢。のぞむくんを好きでいてこれ以上にない幸せだと思ったのが、7人でデビューすることが決まったあの日。のぞむくんにとっても、そうであったら良いな。
18歳ののぞむくんは、愛される才能をどんどん開花していった。誰かに対して「愛してる」「愛して欲しい」と愛を謳うのぞむくんは、疑わずに愛してもらえる場所と愛していきたい人たちを見つけたんだなと思った。
19歳ののぞむくんは、仕事を通して一回り大きくなった。初主演舞台やドラマ出演、ファッションモデルなど、グループから出てさまざまなことを吸収してきた。不安さえも味方にして、自分の表現の幅を広げた。20歳として、羽ばたく準備の年。
20歳ののぞむくんは、きっともっと、わたしの「好き」を深化させていくのだろう。

振り返ると、6年分の「好き」が溢れて止まらない。こうやって、これからもひとつずつ年を取っていくのぞむくんをわたしはわたしの心のシャッターで切り取って、心のアルバムにそっと閉じ込めていく。何よりの宝物。

のぞむくんを薔薇に例えるなら、きっと四季咲きの薔薇だ。季節関係なしに花を咲かせて、人々を喜ばす綺麗な薔薇。開花後に伐り戻すと次に伸びる枝に花をつけて、次々と開花を繰り返す。花によっては冬まで咲くこともある。綺麗な花を咲かせることが、この世界では喜ばれることだと分かっていて、わたしはまだまだ新芽ののぞむくんにはそんなに綺麗に咲かなくていいんだよと言いたくなる。時には花を咲かせないときがあったっていい。失敗したり間違ったりしていいんだよと思いながら、何でも卒なくこなす一方で、隠れて努力している姿に、小6で入所して以来、早くして「オトナ」になることが使命だったのぞむくんに思いを馳せる。ステージに初めて立ったその日から、周囲に求められることに精一杯応え続けていたあの小学生が20歳になる。のぞむくんがひとりで綺麗な花を咲かせることができることくらい、もうずっと前から知っているけど、それでも台風や強い雨風から守ってあげたい。可愛くて可愛くて仕方なくて、甘えやかしたくて、過保護に囲ってあげたくて。綺麗に咲かせることが求められるこの世界、わたしの役目は6年前からずっと変わらない。それは、20歳になっても、30歳になっても「のぞむくんはのぞむくんのままでいい」と甘やかし続けること。小学生の頃から「オトナ」として振る舞うことが使命だったのぞむくんがジャニーズWESTになり、「子どもでいることが自分の使命」と言えるようになった今も、そしてこれからも、過保護に心配して、甘やかすことが唯一わたしがファンとしてできること。年齢を重ねてどんどんできることが増えて行っても、逆に年齢によってできないことが増えて行っても、わたしはのぞむくんを出会った頃のように甘やかして、のぞむくんの全部を受け止めたい。

早く大人に、と背伸びし続けたのぞむくんにとっては、恐らく「やっと20歳」。20歳ののぞむくんはきっとこれまでよりもずっとずっと自由だ。自由を手に入れたのぞむくんがどんな風に羽ばたくのかが楽しみです。20歳ののぞむくんに幸あれ。あなたの幸せを何よりも祈っています。

愛を謳うあなたへ贈る言葉

のぞむくんの19歳のお誕生日から1週間とちょっと経って、今更ながらお誕生日のお祝いの言葉をまとめさせてもらいます。当日は東北から東京に遠征し、友人とハート型のケーキでお祝いしていたため、落ち着いてこうやって想いをまとめる機会が作れずいました。そこで今年はこのまま書かずにいることも考えたのですが、のぞむくんのファンになってからは毎年続けていたことなのでそれはちょっと寂しい。ということで、お誕生日のお祝いと称するには少し遅すぎるので、この18歳の1年間を振り返ってという形で今年は書かせてもらおうかなと思っています。

まずは、twitterであげたツイートを借りて少し想いをまとめてみようと思います。





個人的な見解なのですが、のぞむくんがジャニーズWESTになってから以前に比べて愛を語るようになった気がします。「応援して欲しい」という言葉でならデビューする前も表現していたことかもしれないけれど、10000字インタビューで「"誰々が好き"っていうより"グループが好き"って言われるようになりたい。 たとえば、僕を"7"好きでいてくれるより、7人を"1"ずつ好きでいてくれる方が嬉しい。」と語ったように、しっかりとこんな風に愛してほしい・好きでいてほしいと表現が顕著になったのはジャニーズWESTになってからだと思う。ファンに対してだけでなく、家族への愛する想いやメンバーへの気持ちをダイレクトに言葉にするようになった気がしています(家族についてはこれまでもそうだったけど)。メンバーだと特に濵田くんを愛して止まないのぞむくんはもっともっと俺を愛して!と全身で表現していて、その愛されたがりっぷりに愛しさで溜息さえ覚えてしまうほど。愛を語ることが増えた要因を探ると、もしかしたらそれは、デビュー前に比べてグループに対してのインタビュー記事が増えたことやそういった想いを語る機会や場所が増えたことも理由の一つかもしれないけれど、それ以上にのぞむくんがジャニーズWESTになって「末っ子」としての使命を果たそうとしているからかもしれない。今の自分の使命を聞かれて「末っ子キャラというか、いい意味で子どもでいることが使命」と語ったのぞむくんをふと思い出します。

この18歳の1年は目が回りそうになるほど忙しい365日だったと思うけれど、その中で愛される才能をどんどん開花していった1年だったなと客観的に思います。誰かに対して「愛してる」「愛して欲しい」と愛を謳うのぞむくんは、疑わずに愛してもらえる場所と愛していきたい人たちを見つけたんだなって。きっとそこがジャニーズWESTなんだなって。「愛して欲しい」とのぞむくんが謳うとき、わたしは迷わずに「愛してるよ」と伝えられるファンでいたい。例えば、これから先のぞむくんやジャニーズWESTが迷ったり立ち止まったりすることがあるかもしれない。そんなときに愛を捧げられるファンでいたい。だから、19歳ののぞむくんを好きでいるとともに、一番の味方として彼への愛をわたしも絶えずに謳い続けていくことがファンの使命だと思っています。

7/29に発売されたジャニーズWESTの4thシングル「バリ ハピ」に収録されている「All My Love」を聴いているとどうしてものぞむくんを思い出す瞬間があります。

いつか 与えられる人から与える人へ ちょっとずつ 成長したいんや

この歌詞を聴くと、もう十分のぞむくんは与えられる人に成長しているよって胸がきゅんとなります。19歳を迎えた今をこうやって応援できること、わたしの一番の「すき」をのぞむくんに捧げられること、ジャニーズWESTを応援できること、言葉にして挙げるときりがないほどたくさんの幸せをもらっています。これらはのぞむくんが19年前にこの世に生まれてきてくれたこと、そして7年前にジャニーズ事務所を選んでくれたこと、そして夢を諦めずに続けてきてくれたおかげ。のぞむくんを好きになって与えてもらったものの方が多くて感謝してもし切れない。だから、やっぱりわたしはステージに立つのぞむくんが少しでも笑っていられるようにただ幸せを祈ります。

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19歳になったのぞむくんの365日が、1日でも多く、幸せ溢れる日になるように心から祈っています。素敵な19歳の1年を。今日もあなたが大好きです。

 

入所7周年おめでとう

のぞむくん、入所7周年おめでとうございます。ジャニーズ事務所に入りたいと思って履歴書を送ると決めた日から今日まで、のぞむくんが選んできた道のりは今日この日のためにあったんだなって思う。毎日更新されていくそんな願いにも似た想いが今日も明日も1年後も10年後もずっとずっと繋がっていけば、と心から祈っています。7年の間に数え切れないほどの苦しみや哀しみと闘って、そんな想いを隠してまでステージに立ち続けた小瀧望というわたしのヒーローの物語はまだまだ始まったばかり。苦しみや哀しみを乗り越える度に、さらに魅力的になっていく彼にまだまだ目が離せません。好きになってもうすぐで5年、失ったものも確かにあったけれど、それでも今日まで彼が歩んできた道のりはいつもあたたかくて正しくて優しかった。ずっと背中を追いかけてきたから分かること。

2012年のまだ寒さ厳しい冬の頃、こんな記事を書きました。

7WESTを知れば知るほど彼らの魅力から抜け出せません。突然ですが、例えばの話、どんなに綺麗な花でも、それを支える土壌が良くなければその花は育たないし、綺麗な花を咲かせ続けることは難しい。つまり、綺麗な花を咲かせるには良い土や水、光、酸素といった環境が大きく影響してくるものです。わたしにとって望くんが一輪の花だとしたら、7WESTは咲いた花を維持するため、成長させるために必要な土や水、光、そして酸素のようなもの。そういった意味でも、望くんの魅力を引き出してくれるのは、やはり7WESTのメンバーだとわたしは信じて疑いません。メンバーの存在が小瀧望という一輪の花を咲かせるための土や水、光、酸素であるように、彼が彼らしくステージ上で輝くことができるのは7WESTという存在があるからだとわたしは思う。恐らく、わたしはメンバーという温かな土、清らかで透明な水、柔らかな光に支えられて咲く一輪の花――小瀧望が好きなんだろうなと。ユニット解体(もしくは改編)という植替えがいつどこで行われるか分からない中で、それでもこの場所でその花が可憐に咲き続ける姿を見つめ続けられれば、と小さく願っています。

このときの状況と今を比べると共通点を見つけることの方が難しい。でもそれは決して何かを失ったからではなくて手に入れたものがのぞむくんを随分と変えてくれたからだと思っています。のぞむくんという花をしっかりと咲かせてくれた6人の7WESTは失くなってしまって、それからというもの4人の7WESTや4人のジャニーズWESTという土壌の上で揺れたこともあったけれど、ジャニーズWESTという場所に辿り着き、芽を出し、蕾を膨らませ、素敵な花をまた再び咲かせてくれました。わたしが応援してきた小瀧望という花は季節による台風や大雨に負けそうになりながらも、それを乗り越えて「この仕事をしてて良かった、幸せ者やなって思う」「ありがとう」とわたしたちファンに笑顔を見せながら大きく大きく成長していく姿を見せてくれる。ありがとうと言いたいのはわたしの方です。この道を選んでくれてありがとう。

自担を追いかける原動力は「すき」という気持ちはもちろんのこと、それと同じくらいにこの人の表情や仕草をひとつも見逃したくないという感情がわたしを突き動かしているように思います。一瞬でも目を離してしまったら、大切なものを拾い零してしまうような気がする、瞬きさえ惜しいそんな存在。それと同時に、わたしにとって望くんは「光」です。暗闇の中で出口を教えてくれるような光であったり、見えない部分を照らしてくれる光であったり、時には眩し過ぎて目を反らしたくなるような光でもある。光はどんなに手を伸ばしても掴めない。遠過ぎるとぼやけるし、近過ぎると目が眩む。距離の取り方が少し難しいけれど、わたしにとって望くんは希望であり光なんだと思います。コンサート中、客席を見渡して目を細めてふわっと優しく笑う望くんは、わたしにとって誰よりも眩しくて、何よりも愛しい光。今はまだ誰かの足下を照らすほどの小さくぼんやりとした光でしかないけれど、彼がいつか多くの人の暗闇を照らすような明るく眩しい光になることを心から祈っています。

上記のように2012年のわたしは、のぞむくんを「今はまだ誰かの足下を照らすほどの小さくぼんやりとした光」と例えています。多くの人の暗闇を照らすように明るく眩しい光であることを心から祈っていたあの頃のわたしに伝えたい。あなたの「光」は、数年後ジャニーズWESTとして7人でデビューし、横浜アリーナでペンライトの波に包まれながら、手を振るだけで、笑顔を見せるだけで、こんなにも人の心を幸せにできる強く優しい光になっているよということを。

最後に。何年先も何十年先ものぞむくんを好きでいられるように、わたしは今日もあなたの幸せを懲りずにただただ祈っています。

 

 

また一つ乗り越えて、かっこよくなる君

先日、ジャニーズWESTの連載なにわぶ誌で、濵田くんと一緒にいるときに男の子3人組に声をかけてもらったのぞむくんがこんなことを語っていました。

この仕事してたら色んなこと言われて辛いこともある
でも、応援していただいてるファンの皆様に声をかけてもらったりLIVEで楽しんでもらえたり、一緒になって騒いだりしてる時
この仕事をしてて良かったなって、俺は幸せ者やなって思います
誰になんと言われようと俺は俺のままでいるし、これからも俺なりに頑張っていこうと思います

これを読んで改めて、デビューしてから楽しかったことや嬉しかったことだけじゃなくて、苦しかったことやつらかったことまで見せてくれるようになったと思ったし、そんなのぞむくんの言葉に触れると好きが溢れて止まらない。アイドルは夢を与えるものだから苦労話は必要ないという人も多くいるけど、こうやって人間らしさをしっかり見せてくれるのぞむくんを見てると、自分を偽ることなく真っ直ぐファンと向き合ってくれているその姿勢が愛しいなあって思う。ソロコンに対する不安も、この仕事をやめようと思って悩んでいた時期があったことも、新幹線だけじゃ難しくて夜行バスまで使ってギリギリで高校卒業できた話も、そのときののぞむくんだから話すことができること。のぞむくんはいつも、闘っているときはそれを悟られずにいて、乗り越えたときに全てのことを話してくれる。のぞむくんは自分の道を進んでいるように見えてものすごく周りの評価を気にしている人だし、自分が周りに何を求められているかを敏感に察知している人。だからこそ苦しさもあるし、悩んだことも多かったんじゃないかと思う。それは全部推測でしかないけれど。でも、そんなのぞむくんだからこそ、もっと自分の好きなように生きていいんだよって思うし、のぞむくんが自分で選んで決めたことは全部認めてあげたいし全力で褒めてあげたい。甘くてタレントを育てないファンだって批判されるかもしれないけど、のぞむくんが悩んで選んで自分らしく生きられる選択肢に、間違いなんてあるわけがない。だから、のぞむくんが言う「誰になんと言われようと俺は俺のままでいるし、これからも俺なりに頑張っていく」というその言葉の重みに、泣きたくなるくらい胸がきゅうって掴まれた。ああ、またのぞむくんは一つ何かを乗り越えたんだなって。またのぞむくんはかっこよくなるんだなって。そうやってどんどん成長していくのぞむくんのファンでいられてこちらこそ幸せ者だとしみじみ思う夜です。